邪馬台国論争はどこにある(その一)

@      倭は日本なのか?

邪馬台国はどこにあるのだろう。そして卑弥呼とは誰なのだろう。

私も歴史を志す者であるから当然これには没頭せざるを得なかった。

悪戦苦闘の中で私も罠にはまっている事に気づいた。それまでに数限りなく本に目を通してきた。

大きく分けて三つあるのではないだろうか。

一つは、魏志倭人伝が取るに足らないいい加減な資料で、これを真面目に取り上げる必要はないという立場だ。

もう一つは、日本書紀が偽書であり、魏志倭人伝は正しいと言う前提だ。

前者は例を挙げるなら、「新しい歴史教科書」の会の(今は追い出されたけれど)西尾幹二さんかな。

後者は魏志倭人伝を信じてツアーを組み、韓半島から船に乗り、陸に上がり船に乗り込み又陸に上がって徒歩で数ヶ月、皆さん行方不明になったようだ。ある者は九州で、又ある者は近畿までたどり着いたのだろう。ご苦労様でした。

そして卑弥呼は天照大神なのだ、とか、神功皇后だとか言っている。

もう一つは、どちらも正しいか、どちらも変だと言う人。

ちょっと待って欲しい。誰が倭の国が日本であると決めたのだろうか。どの本もまず何のためらいもなく、日本はむかし倭とか倭国と呼ばれた、から始まっている。まず、第一歩からしておかしいのではないか。出発点が違っていては前に進めないのではないか。

日本が日本である事は認めても良いだろう。しかし、倭の国が現在の日本の地域のことであると、どこに記されているのだろう。どこで証明されているのだろう。

「唐曾要」には倭国と日本は別に書かれている。

倭は「古の倭奴国なり。新羅の東南に在り、大海の中で暮らす。代々中国と通交する。その王の姓は阿毎氏。」

倭国には阿毎氏の名があり、新羅の東南で大海中に在り、と書かれている。

さらに「唐曾要」には無視できないことがある。

 「日本。倭国の別種である。その国は日辺に在る故に、日本国を以て、名と為した。あるいは倭国は自らの名が雅ではないことを憎み、日本に改名した、あるいは日本は昔は小国だったが、倭国の地を併呑したという。そこの人が入朝したが、多くは自惚れが強く、不実な対応だったので、中国はこれを疑う。」

日本の使者が言う事は信じることが出来ないのは何故か。つまり、倭から日本への名前の移行が不鮮明だと言ったことになる。

倭はむかしの倭奴国(「わどこく」、「わなこく」どちらともいえない。)、日本は倭国の別種。

こんな簡単な理屈はない。つまり中国の史書は日本を倭国の跡継ぎとは認めていない。

何故こんな簡単な事を歴史家は黙っているのか。

国民は黙って「倭と日本は同じ」と考えなさいという事なのか。

ついで「新唐書」の日本国伝にも、

咸亨元年(670年)、遣使が高麗平定を祝賀。後にやや夏音(漢語)を習得し、倭名を憎み、日本と改号した。使者が自ら言うには、国は日の出ずる所に近いので、国名と為した。あるいは、日本は小国で、倭に併合された故に、その号を冒すともいう。使者には情実がない故にこれを疑う。

二つの史書では言っている事が違う。倭に吸収されるのと、倭を吸収するのでは大いに違う。どちらにしても、認識として倭と日本は別の存在であり、ただし、別種、つまり「わけ」の存在だったようだ。

 

 

有名な「漢書地理誌」には、「樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云・・・」とある。

楽浪海とはどこか、常識的に言うと現在の韓国沿岸の渤海か黄海に当てはめるとしても、少なくとも外洋を示しているとは思えない。

どちらにせよ、幾つかの文献を見るまでもなく、いちばん肝心な「日本はむかし倭の国と呼ばれていた。」とする前提は簡単には同意できない。

証明されていないと言う事だ。

 

 

A      日本書紀,魏志のどちらが偽書なのか。

従来の歴史書を見ると当然その二つの書物は矛盾してくる。倭国が日本とするなら、当然のことながらどちらかを偽書とせざるを得ない・

私がいちばん好きな研究家は鹿島昇氏である。かれは西都原遺跡が卑弥呼の墓であると断言し、明治以降の東大教授たちが隠蔽したと非難した。そして、日本書紀は世紀の偽書であると糾弾している。

有名な井沢元彦さんは、日本書紀も魏志も偽書とは言わず、神功皇后を卑弥呼とし、矛盾はあえて無視している。九州説、近畿説ともどちらの書物も偽とは言っていない。古田氏は福岡、邪馬台国説でどちらかと言えば、日本書紀が間違っていると述べているか、もしくは解釈のしなおしている。古田氏の研究はとても素晴らしいと思う。惜しむらくは邪馬台国が博多にあったという主張にこだわりすぎて自分で自分を縛り付けてしまっている様にみえる。まことにお気の毒である。

私は残念ながらどれでもない。事実関係で明らかなことは、日本書紀が書かれたのは8世紀以降であり編集者は間違いなく魏志倭人伝を読んだ上で書いている。と言う事は、仮に九州に、もちろん近畿に邪馬台国が在ったとしたら、卑弥呼が日本人であるなら絶対に日本書紀に該当する事実関係を載せざるを得ないはずだ。仮にその事実を書きたくなかったとしても、親書のやり取りまであったのだからどこかにその国なり、人なりが出てこなければおかしい。いやしくも国の歴史書でうそと分かるような事は書かないし、無視することはあるだろうけど、基本的にはありえない。

では、魏志がうそなのか。私は中国を統一し鼻高々な新しい国家が国書でわざわざ大嘘を書くとは思えない。

国書の編纂をした陳寿は恐らくその当時の最高の国学者だったはずで簡単な嘘は書くまい。

私の結論はこうだ。倭人の国は現在の韓半島にあり他にも点在していた。恐らく一部は日本にもかかっていたと考える。そうすると二国の史書に何の矛盾もなく、平和が保たれるではないか。倭が日本ではないことをその当時の日本人は知っていた。当たり前だ。

この結論から言えることは九州説も近畿説も永久にたどり着く所はないということだ。

いくらなんでも考古学の発掘が続いているのに決め手となるものはいまだに出てこない。当然のことだけれど、今後も出てくる事はないのだ。

B      では、邪馬台国はどこにあったのか?

現在二冊の本から邪馬台国がどこにあったのかを想像したい。一冊は、在野の研究家「山県明郷氏」の邪馬台国論争集結宣言、そしてもう一冊は、浜名寛祐氏の「契丹古伝」だ。後者は大正時代に書かれた物で当時日韓同祖論が盛んでありその裏づけとなる資料だったようだ。

前者はこれも素晴らしい本で従来の韓半島の歴史を根本的に書き換えなくてはならないものだ。残念ながら両書とも甚だ難解な書物で現在の私にはダイジェストする時間が取れない。

結論から言うと共通する事は教科書に載っている古代韓半島の三国時代(高句麗、新羅、百済)の位置関係は全くのでたらめであり少なくとも現在の北朝鮮よりもう一つ北の満州地域での出来事だったようだ。つまり、教科書や百科事典に載っている三国の位置は全くの間違いだと言う事だ。

一ついえることは昭和になってから特にこのことが問題となり、学者を動員し倭の国が日本になった様に偽装されてきたようだ。

朝鮮併合の機会に、日本軍が広開土王の石碑を壊したとか、改ざんしたと言われているし、百済王の陵墓を暴いた事も有名だ。

天皇家が何かを隠したかった事は歴然とした事実だ。そして、墓にあった財宝を日本に持ち帰りいまだに返却していない事もGoldWarriorsで明らかであろう。

たぶん韓半島を略奪していく段階で、天皇家の出自に関わる大変な物証が手に入ったのだと思う。そして、現在、広開土王の石碑は中国の管理下に在りいまだに見学をすることはできない。なんと言ってもこの広開土王の石碑には倭の国が高句麗と戦いここまで攻めてきたが、広開土王がけっ散らしてくれた。と書いてある。日本書紀を見ても高句麗と闘った形跡はどこにもない。

すなわち、倭はその当時少なくとも現在の北朝鮮地域にいたことは間違いない。

残念ながら今の私には邪馬台国の場所を特定できないけれど、間違いのない話、取るに足らない小さな国であり、まもなく跡形もなくなったものと思われる。もう少し時間が欲しい。そして、この件は現在朝鮮の故国は何処にあったかに関わり、おそらく本格的に公開できないのではないだろうか。つまり、旧日本軍の作った傀儡政権の満州国は日本のそして高句麗の故国だった可能性が高い。これを明らかにすると国際的な領土紛争の種になる。研究家にとってそれは全く関係のない話であり現在何処が支配していようがあまり関係のないことだ。ただし、清朝がもとはモンゴル出身で日本と、かつ韓国が同祖であったとしたら、朝鮮併合も満州建国も大義名分はある事になり、少なくともイスラエルを建国したユダヤ人よりは正当性はあるのかも分からない。(少し、強引だな。)

C      じゃあどうして対馬国とか、壱岐などがでてくるの?

これに付いては岡田英弘氏の「日本史の誕生」から引用しよう。氏の主張は部分的に素晴らしい思うのだが、結論として邪馬台国が瀬戸内海のどこかにある海洋民族だと断定しているのには少しがっかりした。しかし、氏ほど素晴らしく魏志倭人伝の持つ意味を解説してくれる人はいないので参考にしよう。

三国志六十五巻は晋朝の史官であった陳寿(233297)の著作である。彼は魏に併合された蜀の四川の人で、評判が悪く長らく芽が出なかったのに張華が陳寿の才能を愛し取り立ててくれたおかげで三国志を撰する事になった。その彼がなぜ魏志倭人伝で邪馬台国をでっちあげしたのか。これは後日、何故魏志倭人伝はでたらめなのかで特集しましょう。

あまりにも長くなるので次回に続く。

 

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