石上神社の七支刀きのうブログの読者から神功皇后について知っていることを教えて欲しいとメールが来た。

 

詳しくは長くなるので、今日はその返事の中の七支刀の話をしましょう。

 

とりあえず、wikiからひろって見よう、

 

七支刀(ななつさやのたち/しちしとう)は、大王家に仕えた古代の豪族物部氏の武器庫であったとされる石上神宮に六叉の鉾(ろくさのほこ)として伝えられてきた鉄剣。

 

その銘文には、

 

表・泰■四年十■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■辟百兵宜供供候王■■■■作

裏・先世以来未有此刀百濟■世■奇生聖音故為倭王旨造■■■世 (以上引用)  

 

問題はその解釈ですが、色々な本にも必ず出ている有名な文章なのだが、ほとんどは意識的にウソをついている。代表的なものを示そう。中公文庫「日本の歴史」から引用する。

 

(裏面)「百済王ならびに世子の奇生聖音(後の貴須王)は、倭王のために昔からまだ見たことのないこの刀をつくりました・・・・」

 

笑っちゃいけない、これが日本の学者の真実なのだ。よくまあこれだけのウソをつけるものだ。正しい解釈を見てみよう。

 

小林惠子さんの解釈は、

 

「先の世以来、このような刀はなかった。百済王の世子は奇しくも生まれながらにして聖徳がある。故に倭王となし、初めてこの刀を作った。後世につたえよ。」

 

鹿島昇氏は、「故為倭王旨」とはどういうことか、もちろん、「故ありて倭王旨と為る」としか読めないではないか・・・。と語る。

 

つまりこの刀は、西暦369年に百済王の庶子が倭王に為ったと言う隠しようのない証拠なのだ。では、誰が一体この刀を作り、誰に送ったのか。

 

実は神功皇后が活躍した時代がこのあたりに当てはまる。そして日本書紀の年代を見ると、どうも、日本書紀の著者は神功を天皇として扱い、武内宿禰に重要な仕事をさせている。そうしてみると、このときの天皇、仲哀、成務は百済からの傀儡だったのだろうか。

 

この続きはながくなるのでまた後日。むずかしいのですよ・・・。

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