道教と古事記の関連に関する記事の抜粋

鹿島昇氏の「倭と日本建国史」より抜粋で、その中からさらに孫引き、

福永光司氏の「古事記神話と道教の神学」朝日新聞社84.7.19より

 

わが国最古の歴史書であった「古事記」が撰出(せんしゅつ)されて、太安万侶から元明天皇に献上されたのは、和銅五年(712)正月のことであるが、この元明天皇の「元明」の諡号(しごう=おくりな)ならびに「天皇」の称号が、いずれも中国の民族宗教「道教」の教理書に見える神学用語であることを知る人は少ない。

 また、この「古事記」の「序」を中国語(漢文)で書いている太安万侶が道○湯の神学教理にくわしかったことはその「序」の中に用いられている漢語表現、例えば「参神作造化之首(参神は造化の首=はじ=ねを作=な=す)」、「日々彰於洗目」日月は目を洗う彰=あらわ=る)、察生神立人之世(神を生み人を立つるの世を察=あきら=かにす)」などが、それらの思想内容とともに道教の漢学教理書にのみ見えて、儒教などの他の中国古典文献に全く見えないことからも証明される。

 さらにまた、この「古事記」が撰出された青丹によし奈良の都を「平城京」と呼ぶことが、「古事記」の撰述に先立つこと約三百三十年、西暦三八六年に創建された北中国の王朝、北魏の都「平城京」に基づくことは、かなり知られるようになったが、同じくこの奈良の地「平城京」に都した聖武天皇の年号「神亀」および「天平」が、北魏の孝明帝の年号「神亀」および北魏を継ぐおなじ鮮卑族の王朝、東魏の孝静帝の年号「天平」と共通していることは、ほとんど注目されていない。

 西暦四世紀の後半に成立した北魏の王朝はその初期に道教を国教と定め、皇教を大いに尊び重んじたが、その年号の「神亀」「天平」もまた道教の神学と密接な関係を持ち、わが国で同じくこれらの年号を用いた聖武天皇の皇后光明子が、天皇の死後、皇太后となってから用いた「紫徴中台」の宮名も、また北魏の「紫宮」、もしくは「紫徴宮」などと道教の神学においても共通する意義を持つ。

 「古事記」の撰述された八世紀、奈良の時代とその歴史とが、意外なところで道教の神学とかかわりを持つことはあらまし以上の通りであるが、ここで私が特筆したいと思うのは、「古事記」の本文、特に「古事記」神代の巻に載せる神話の中の道教の神学と共通類似し、もしくは密接な関連を持つと思われる記述が少なからず見えている事実である。

 例えば神代の巻の冒頭の記述、「天地初めて発(ひら)けし時、高天の原に成れる神の名は、アメノミナカシの神、次にタカミムスビの神、此の三柱の神は並(ミ)な独り神と成り坐(マシ)て身を隠したまひき」は、中国で六世紀の半ばにその成立が確認される道教の神学教理書「自然九天神章経」に「(混元は)分かれて玄と元と始との三気の尊神なり・・・空洞の中に隠れて光り無く象(すがた)無し・・・」とあり、そこの注に引く「正一経」に「太無は変化して三気明らかなり。三元(三気の根元)は造船の根なり」などとあるのと類似共通する。

 この「古事記」本文の記述を要約する「序」の文章「参神は造化の首を作す」と照合するとき、「古事記」本文の「天地初めて発けし時・・此の三柱神云々」の記述が、道教の神学教理書「自然九天生神章経」のたぐいを念頭に置いて書かれたものであることは、断定してほぼ誤りないであろう。

 今ひとつ具体的な例を挙げよう。神代の巻には上述の「三神」の生誕の記述にすぐ続いて、「次に国稚(わか)く浮きし脂の如くして、久羅下(くらげ)なすただよへる時、葦牙(あしかび)の如く萌え騰(あが)る物に因(よ)りて成れる神の名は、ウマシアシカビコジの神、次にアメノトコタチの神、この二柱の神もまた、独神と成り坐(まし)て身を隠したまひき」の記述が載せられている。

 神代の巻が冒頭に「天之御中主」以下の三柱の神を挙げ、次にこのウマシカビヒコジ、アメノトコタチ二柱の神を加えて五柱の神としているのは、道教の天下開闢(かいびゃく)の神学における「三喜尊神」から「五気の尊神(五行の気の神格化)」への展開を強く意識したものと解されるが、ここで、「国稚く浮きし脂の如くして云々」の「古事記」本文の記述も、また道教における「神生み(黄金の錬成)」の神学を念頭に置いて書かれたと見ることができよう。

 すなわち右の文章で「浮きし脂の如くして、久羅下なすただよえる時、葦牙の如く萌え騰る物に因りて成れる神」というのは、西暦二世紀、後漢の魏伯陽によって撰述されたという道教の神学教理書「周易参同契」(巻上)に、「陰陽の始め、玄(みず=水)は

黄牙(黄色の牙)を含む。・・・金を水母と為し、母は子に胎に隠す。水は金の子にして子は母の胞に○(かく)る。(胞胎より生まれ出し)真人は至妙にして有るが若(ごと)く亡きが若(ごと)く、大いなる渕に髣髴(ほうふつ)として、乍(あるい)は沈み乍は浮かぶ」とある文章表現と思想を踏まえたものと解される。

 つまり、道教の鎮金述術において大きな器に水を盛りくろふねなどの鉱物をその中に入れて高熱を加えると、水母(くらげ)のように漂う水銀状の物質から黄色い葦の芽のような結晶体が化成して、それが神仙の世界の真人つまり神にも匹敵する金丹となり、器の中の大海原のなかを沈みつ浮きつするというのであり、そのことを、「天之常立神」ら二柱の神の誕生になぞらえたものである。(少なくとも太安万侶の「古事記」序の「浮沈海水」の字句表現は「周易参同契」の「大渕・・乍沈乍浮」と対応する)

 「古事記」の神代の巻に載せる神話的記述の中には、このほかにも道教の神学と共通類似し、両者の密接な関連性を想定させるものが少なくない。例えば、イザナミの「蛆(うじ)たかれこころく」屍体(したい)を見て、洗脳したイザナギの大神の左右の眼から、アマテラスオオミカミとツクヨノミコトが生まれたという洗脳の宗教儀礼と日月の生誕神話、出雲の肥の河上でヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトの頭髪の中に、呉公(むかで)がたくさんいたというムカデの呪術(じゅじゅつ)信仰、天孫降誕に際してアマテラスが、「此れ鏡は専ら我が御魂として伊都岐(いつき)奉れ」と詔勅したという鏡の宗教哲学、ワニに皮を剥(は)がれた稲羽のシロウサギにオオクニヌシノミコトが教えたという蒲黄(がまのはな)の外科治療法などがその顕著なものである。

 このような「古事記」神話と道教の神学との関連性もしくは影響関係の検証を、さらに的確にし「そう拡大充実させてゆくためには、「古事記」が撰上された八世紀の初め、中国で言えば唐の高宗、明の天武后の時代に至るまでの、道教の神学を基軸として儒教の祭礼の学、中国仏教の教理学などもそのなかに包摂する全体的な中国宗教思想史の研究整備が急務であることは言うまでもない

 

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